農業統計データ
最終更新日:2017年10月20日
川上村・農業の沿革~野菜王国が築くまで~
かつて | 長い間自給目的の主穀栽培が農業の中心であった。 |
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江戸末期 | 水稲栽培が可能となって水田面積が増加した。 |
明治初期 | カラマツの育苗が行われ、県内・東北・北海道をはじめ、韓国・満州・ヨーロッパまで販路を拡げた。 |
大正初期 | 養蚕が発展。その後、大正10年をピークに減少していった。 |
昭和初期 | 鉄道が整備され、信越・中央両線との連絡が可能になった。 |
昭和9年 | 今井宗實氏が出荷用のハクサイ栽培を始める。 |
昭和10年 |
長野県の臨時産業法の指定を受け、ハクサイ栽培が盛んになる。 鉄道の開通を契機に栽培は発展し、県下有数の高原野菜産地に発展していった。なお、このときのハクサイの多くは大阪へ出荷された。 |
昭和20年 | 第二次世界大戦のため農作物等の輸送難になり、栽培を一時中断。 |
昭和23年 | 長野川上農協設立。その後、平成13年に合併農協の長野八ヶ岳農協へ。 |
昭和24年 | 国のそ菜生産指定地とされ、肥料の特配をうけ、次第に栽培面積を戻していく。 |
昭和25年 | レタスが試作導入される。 |
昭和26年 | 川上物産農協設立。 |
昭和36年 | 川上そ菜販売農協設立。 |
昭和41年 | 夏ハクサイが野菜指定産地となる。 |
昭和44年 | 夏秋レタスが野菜指定産地となる。 |
昭和48年 | 高冷地でありながら村ぐるみで大規模野菜産地に転換した業績を評価され、朝日新聞より自治体初となる『朝日農業賞』を受賞する。 |
昭和53年 | レタスの栽培面積が1,000ヘクタールを超える。 |
昭和54年 | 土壌の自主診断開始。 |
昭和56年~57年 | 高速道路の整備により野菜の出荷量も増加。 |
昭和60年 | 川上村独自の野菜生産安定基金始まる。 |
平成元年 | 村内に『高原野菜発祥の村』の記念石碑建立。 |
平成3年 |
大阪花博へ川上村高原野菜ブースの出展。 村内11ヶ所の農業気象ロボットが観測開始。知り得た情報は営農に活用する。 |
平成5年 | レタス根腐病の発病が確認される。 |
平成7年 | 『川上村農業用廃プラスチック適正処理推進協議会』の設立。野焼きが禁止になり、他産地に先駆け協議会を設立し、現在もプラスチック原料や代替燃料として、再生利用を行っている。 |
平成9年 | 残留農薬の自主検査を始める。 |
平成10年 | 『田園地域マルチメディアモデル整備事業』により、従来よりも詳しい情報提供を行っている。また、農業情報ネットワークを構築し、市況情報等を必要時に知ることが出来る。 |
平成11年 | 新しいタイプのレタス『リバーグリーン』・『サワーアップ』の開発。 |
平成14年 |
川上村環境保全農業センターの設立。 試験圃場の設置。関係機関と連携し、病害虫等問題点の解決や新品種・新品目の導入を目指す。 |
平成15年 | 村内一部で、施設によるイチゴ栽培開始。 |
平成17年 | Jリーグ『川崎フロンターレ』と合同でキャンペーンを行う。(平成18年実施) |
平成18年 |
台湾へのレタス等の輸出を国内で初めて行う。また、輸出に伴い、台湾国内にて物産展を行う。 プロ野球横浜ベイスターズ公式戦に協賛し、横浜スタジアムで『川上村ベジタブルナイター』を行う。 レタスを原料とした焼酎『麗多寿焼酎』の製造。 県内にて『川上村レタス』のテレビCM開始。 |
平成20年 |
香港へ輸出開始。 プロ野球東京ヤクルトスワローズ公式戦、明治神宮野球場で『野菜王国川上村デー』を行う。 |
平成22年 |
プロ野球読売ジャイアンツ公式戦、東京ドームで『野菜王国川上村デー』を行う。 ロシア(ウラジオストク)へ試験的に輸出。 |
平成26年 | シンガポールへ試験的に輸出。 |
平成27年 |
シンガポール国内においてフェアを行う。 農産物等直売所『マルシェかわかみ』オープン。 沖縄県恩納村で野菜栽培の技術指導『シンカプロジェクト』を開始する。 |
平成28年 |
JR山手線、総武線において、川上村PR中吊り広告を展開する。 |
高原野菜産地として60余年、その間、県営パイロット事業や第二次農業構造改善事業、野菜指定産地事業等の実施により土地基盤の整備がなされ、農道や畑地かんがい事業、防除用水施設が整備され、広大な野菜団地が生まれている。
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